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村川千秋 訃報に寄せて 常任指揮者 阪哲朗より追悼メッセージ

「阪さん、山響をよろしくお願いします。くれぐれもよろしくお願いします。」これが先生と最後に交わした会話でしたね。昨日の先生の訃報からもう泣きすぎて、目の血管が切れてしまいました。でも、「泣いていないでやることやれ」と言われそうなのでもう泣きません。
 
毎年5月の先生のご出身の村山市での演奏会。ここ数年は先生と2人で振り分けるのを、とても楽しみにしてきました。毎回が良い想い出ですが、昨年は先生の編曲の最上川舟唄ではピアノを担当させていただき、最初の練習では先生の指揮を見慣れていない僕だけが、どのタイミングで弾けば良いのか分からず、オケより先に飛び出てしまい大爆笑になりましたね。
残念なことに先生の最後の演奏会となってしまった、ほんの1か月前の村山公演では、先生は体調のお悪い中、車椅子で指揮台に辿りつかれると立ったまま指揮をされました。それも1曲のみならず、プログラムの始めと終わり、さらにはアンコールという計3曲も。時間を空けての指揮は健康体でも体が冷えたり、集中力のコントロールなどコンディションを整えるのが難しいはずなのに、先生は見事に指揮されました。そしてその舞台人としての気迫には圧倒されました。こうして先生はこれまでの演奏会のみならず、最後の演奏会でも音楽家としての生き方、人としての生き様を身をもって皆に見せてくださいました。35年ほど歳の離れた先生と僕ですが、90歳を超えて生きることさえ普通は難しいのに、その上、指揮をするなど、長い音楽史上でも本当に僅かな選ばれた人しか成し得なかったことです。
 
引退なさっていた先生を再びお呼びたてして、ここ数年は文字通り、ご自分の命を削りながら再び山響を指揮してくださいました。
先生が50年前にご自分が創られた山響を指揮するという濃い時間、その最後の輝きは、その場に居合わせた全ての人々に忘れられない宝物として残り続けることでしょう。
 
人の気持ちを動かす事は容易なことではありません。先生は音だけでなく、人を動かし、場の空気を指揮してくださいました。そして、まだまだ僕には先生のシベリウスのような音は出せませんが、これからも精進いたします。
今後は先生を知っている我々が、先生を直接知らない世代に、もっともっと心に音楽を、山響を世界へ、という先生のご遺志を伝えていかなくてはなりません。
 
そしてきっと、随分先に天国に行かれた先生のご学友であり、我が師である廣瀬量平先生とも久しぶりにお会いになられることでしょう。阪はどうしてる、と聞かれるはずですので、先生が創られ愛された山響を、更に輝きのあるものにするべく、楽員、スタッフと一致団結して頑張っているとお伝えください。2021年に50周年を迎え、今からさらに50年、100年先の山響の明るい未来の夢を見ながら、どうぞ安らかにお休みください。長い間、本当にお疲れ様でした。
 
                                山形交響楽団 常任指揮者 阪 哲朗
第300回記念定期演奏会での一場面
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