村川千秋 訃報に寄せて 志布 隆夫 村山市長より追悼メッセージ
- 村山市名誉市民 村川千秋先生の訃報に接し、心から哀悼の意を表します。
- “東北初”のプロオーケストラである山形交響楽団の創設者として、楽団の設立から現在まで、その中心的な役割を担われ、そして同楽団を日本の音楽文化を代表する国内有数のオーケストラへの地位へと導かれました。このことは、私たち村山市民にとりまして、たいへんな誇りであります。
- 村川先生は、村山市で生を受け、楯岡小学校、旧制山形二中(現山形南高)を経て、東京藝術大学器楽科・作曲科をご卒業、その後渡米され、インディアナ大学で指揮法を学ばれました。そこでは、小さな町にもオーケストラがあり、「帰国したら故郷にもオーケストラを創りたい」という夢を抱かれ帰国されました。また、「音楽は心のミルク」ということを信条とされ、「音楽での教育」に人生を懸けた方であったといっても過言ではありません。先生が力を注がれた「山響」の「スクールコンサート」は、山形県内のみならず、全国各地の子どもたちがオーケストラを身近に感じることができ、そして、子どもの豊かな感性を育む絶好の機会として、とても大きな役割を果たしてきました。
- ふりかえりますと、1966年(昭和41年)9月に東京交響楽団を指揮しデビュー、その年の11月、村山市民会館の“こけら落とし公演”で、同楽団を指揮されたのが59年前のことでした。そして、1972年(昭和47年)から続く村山市でのコンサートでは、毎年指揮台に立ってくださり、“音楽のある人生”のすばらしさを市民にご教示くださいました。
- 先日5月18日、地元、村山市民会館でのコンサートで指揮を振ってくださった「フィンランディア」(シベリウス)が、先生の指揮者人生のラストタクトとなろうとは思いもよりませんでした。
- 村川先生、本当にありがとうございました。村山市民を代表し、深く感謝申し上げます。
- 村川千秋先生が愛する音楽に対する熱き情熱、数々のご貢献、そして多大なるご功績に対し、深く敬意を表するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
- 村山市長 志布 隆夫